テルペンの歴史 | 古代エジプトから近代日本まで

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テルペンの歴史

古代より木材から得られるタールやピッチは、木造船の継ぎ目のコーキングや防腐剤、たいまつ等に利用されていました。針葉樹の傷口から流れ出る樹液はターペンタインと呼ばれ、古代エジプトではこれを蒸留してテレビン油(ターペンタインの揮発性成分)を得ていたと言われています。

テレビン油は、古くから美容のための香油、殺菌剤、塗装や絵画のラッカーとして使用されてきました。生松脂(なましょうし)が採取され使用されるようになってからは用途も次第に拡大し、ロジンの用途が見つかったことから、19世紀中頃には生松脂からガムテレビン油とガムロジンの工業生産(ガムプロセス)が始まり、急激に普及拡大し、アメリカでは、テレビン油と酒精を混合しランプの燃料として石油が出現するまで使われていました。

20世紀初頭には松の切り株を溶剤抽出してウッドテレビン油を採取する方法(ウッドプロセス)が普及し始め、さらに、20世紀中頃、クラフトパルプの黒液からサルフェートテレビン油および粗トール油を分離し、粗トール油はトールロジンおよびトール脂肪酸に分離精製する方法(サルフェートプロセス)が確立されました。これによりサルフェートテレビン油の生産量は急激に拡大し、ガムテレビン油やウッドテレビン油の生産量を上回るようになっていきました。

テレビン油の用途は、塗料用溶剤や医農薬、合成樟脳等の原料として発展してきましたが、近年はパインオイル(洗浄剤)、テルペン樹脂、香料、ビタミン、殺虫剤等の合成原料へと変わってきています。
他方、第2次大戦後、アメリカでオレンジジュースの需要が拡大するに伴いオレンジの搾汁時に副製するオレンジオイルの用途探索が行われ、テレビン油と同様の用途に使用できることが判り、1970年代中頃より工業的利用が始まりました。現在、オレンジオイルは、主に香料、テルペン樹脂、洗浄剤に利用されています。

  • 木造船
    木造船
  • ランプの燃料として使用されていた
    ランプの燃料として使用されていた
  • 大量のオレンジ
    大量のオレンジ

年表(Wikipediaより)

1844
オットー・バラッハによるテルペンの情報整理
(同じ化合物に対して複数の名称を整理)
1887
イソプレン則の原型、バラッハによって提唱
1892
9種類のテルペンの存在を発見
1914
オットー・バラッハ180ページの「テルペンと樟脳」を著す
1922
レオポルド・ルジチカによりイソプレン則をまとめる
1964
フェオドル・リュネンとコンラート・ブロッホによる
テルペンの生合成に関する報告
1964
フェオドル・リュネンにより
「酢酸」からテルペンおよび脂肪酸への経路)を発表
  • オットー・バラッハ
    オットー・バラッハ
  • レオポルド・ルジチカ
    レオポルド・ルジチカ

日本での歴史

日本では19世紀に生松脂を植物の葉で包んでたいまつとして使用されていたとの記述があります。
20世紀初頭にガムプロセスのプラントが建設され生松脂からガムテレビン油の生産が始まり、第1次世界大戦と第2次世界大戦で需要が拡大しました。
第二次世界大戦時には松の切り株から乾留により得られる松根油を蒸留精製して得られるテルペン分は松根テレピンと呼ばれ、航空機燃料として供出されました。

戦後平和産業の興隆に伴い、松根テレピンは塗料の溶剤として、またタールはゴムの再生油剤として使用されました。生松脂や松根油の生産量は第2次世界大戦直後にピークに達しましたが、その後衰退し、現在ではガムプロセス、ウッドプロセスともに行われていません。

また、サルフェートプロセスに関しても、戦後サルフェートテレビン油やトール油の生産が一部行われてきましたが、1960年代に入りサルフェートテレビン油やガムテレビン油は輸入されるようになり現在では行われていません。

  • 第二次世界大戦時の燃料利用
    第二次世界大戦時の燃料利用

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